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2014年10月10日 (金)

音楽は人が奏でるもの

字数を尽くすほどに、伝える内容が薄らぐ気がしてならないのだが、自分の記録としてあえて記しておきたい。

オーケストラの演奏会で(良い方の意味で!)こんな事を感じたことがあっただろうか?
古い記憶をたどればレニングラード・フィルを大阪で聴いたときがそうだったか。

でも、20代中ほどの青年だったワタシが感じたものと、今回の四半世紀を経て鍛錬された自分の心が受けた感動は異なっているかもしれない。

昨晩はゲルギエフ率いるマリインスキー歌劇場管の演奏会を聴きに行った。

人づてに譲って頂いたチケットは人生初の1階最前列。
上手側に陣取るチェロ軍団を仰ぎ見る位置である。

正直言って、音楽を聴く席ではないことから、実はこの音楽会にあまり期待していなかった。
(のちに演奏会中盤のチェロのソロを聴くベストポジションになることはまだ知らない)

大変失礼ながら、オープニングのプロコフィエフとチェロの”ドボコン”は、プロらしい上手い演奏に過ぎなかったのだが、本物の音楽会はこのチェロコンチェルトのアンコールから始まった。

ソリストのNarek Hakhnazaryanが奏でるGiovanni Sollima作曲のLamentatio
プレーヤーと音楽が一体化した幻が自分の数歩先にあるという現実を味わう。
素晴らしい。

20分の休憩時間をおいて、チャイコフスキーの第六交響曲が始まる。
この席だからわかる壇上の奏者達(←といっても管楽器はまったく見えないのだが)の眼差しの変化。当然出てくる音も先ほどまでとは全く異なる。

前半に使用していた指揮台を撤去して、さらに弦楽器の1プルトの輪を広めに配置したのは、ゲルギエフ本人の、言わば”舞”の場を作るため。

縦横に動きながら指示を出す、否!音楽を奏でる指揮者の姿はなかなか拝めるものではない。

蜜月の長い指揮者に対してそのオーケストラを”手兵”という言い方をすることがあるが、これはもはや”楽器”である。好みはあると思うが、指揮者がイメージする音楽を忠実に反映できる、数十人から成る装置。

名手を揃えるだけでは決して為し得ない芸術の一端に触れることができた。
素晴らしい。

もう何に感動しているのかわからなくなってきた。
でも、最後に一言。

「音楽は人が奏でるもの」

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コメント

もうアレ以降、人生において「シェエラザード」を聴かなくてよかったんだけどねえ。>レニングラード・フィル with ヤンソンス@1989

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